BLOG:2021/01/16 sat

SNSにちょっと飽きてきたので、久しぶりにブログを再開してみようと思う。
今まで生きてきた中でも、考えられないような日々が続いているので、あとから読み返せるように。というのもあって。

二度目の緊急事態宣言で、ライブの予定も次々とキャンセル、もしくは延期になった。春以降の予定を立てるにも慎重にならざるを得ない状況だ。全然、なんもかんも見通しが立たない。今日の感染者数だとか、お店の規制について、そして補償のことなどなど、ツイッターやヤフーニュースなんかで刻々と情報が届く。いろいろ気になるので、さっき見たばかりなのにまたスマホを覗いては画面を更新するのだ。真っ先に情報を仕入れたところで、何をするわけでもないし、誰と会って話すでもないのに。依存しているなぁ、と思う。時間が勿体ないとも思う。

もちろん、自分の置かれた状況や、これからの不安もあるので、いろいろ知りたいし、知っておいたほうがいいというのはあるのだけれど。どこかで、「続きを早く知りたい」というような。まるで、月曜日発売の週刊少年ジャンプを待ちきれなくて、土曜日か日曜日から並べるお店を探し回った子供の頃みたいな。そんな刺激を求めているのであれば、それはとても危ないことな気がして。いまの自分を冷静に知ろうとすることも大事だろう。

アメリカで起きた議会乱入事件を見ていて、そんなことを考えたのだ。情報を得るために検索して回れば、すぐに陰謀論的なものに出くわす。ノストラダムスの大予言や、ネッシーや、川口浩の水曜スペシャルや、徳川埋蔵金がそうだったように、陰謀論の類いもまた読んでいるとドラマチックなのだ。そして下らない。

先日、U-NEXTでスノーデンのドキュメンタリーを観た。まるでSFちっくな諜報行為を、国家というものは実際にやっていて、それらは僕らには確かめようもないことで、でもどうやら事実らしい。こういう事実と、陰謀論のミステリアスさが少し似ていて、油断していると取り込まれてしまうのもわかる気がしたのだ。どっちも確かめようのない事柄で、想像と妄想を間違った方向に膨らませて行ってしまいかねない。そういう心理もわかった上で、人々をマインドコントロールするんだから、本当にタチが悪い。

とにかく、時間があるからって、くだらないことを考えるのに費やしたりしないようにしたいのだ。

あ、あけまして。今年は良い一年にしましょうね。