BLOG:2021/04/24 sat

映画『カリプソ・ローズ』の上映後、浜村美智子さんと“バナナ・ボート”演奏。緊張したや。そして、なんとも光栄な出来事。浜村さん、めちゃくちゃ声出てて元気いっぱい。おそれいりました。演奏のときに少しお話ししたけれど、20年くらい前に『カリプソ・リズム』というコンピレーションの選曲に関わったとき、タワーレコードのフリーペーパーbounceのインタビューでお会いして以来の再会だった。

控室で浜村さんから「カリプソって何ですかねぇ。わたしこんなに歌っていて何も知らないの」と言われたのが面白かった。
「カリプソとは」みたいなことを調べたことのあるひとならご存知だろう。ハリー・べラフォンテが50年代半ばに大ヒットさせた“バナナボート・ソング”は、ジャマイカのメントというかワークソング的なものが由来のようで。それが、当時のアメリカで漠然としたカリブ感というか、南国感みたいなものを指していたカリプソというキーワードに紐づけられて、ある意味間違ったまま日本に伝えられたというか。

社会風刺や時事ネタを盛り込んで云々…。という、本来のトリニダードのカリプソではない。みたいな指摘がされてきた経緯があって。ただ、今となってはそれも日本におけるカリプソのユニークな歴史的経緯なのだと思う。世界中のあらゆる時代の音楽が気軽に聴けるようになって思うのは、歪んで伝わったからこそ生まれたユニークな音が沢山あること。まるで帰化生物のように異国の地で、異なる環境で音が進化していく様子の面白さ。とか。そういう流れの中に我々もいると思えば、いきなり窮屈なルールから解放された気になれる。

まずは、キーワードとしての“カリプソ”が紹介された。これは浜村美智子さんの偉業。そして、僕らの世代では様々な音楽を経由してカリプソにたどり着いた連中が試行錯誤した。ルイ・ジョーダンやディジー・ガレスピーのカリプソから辿った者、スカのルーツのひとつとして辿った者、ダンスホール・レゲエからソカそして年代を遡ったり、はたまたソニー・ロリンズの“セント・トーマス”…などなど。コンピレーション盤の『London Is The Place For Me』も、イギリスに渡ったカリプソが洗練されていく様子を覗えて素晴らしいヒントになった。そうやってここ日本でも、徐々に「カリプソとは」が明らかになってきた。

そして、『カリプソ・ローズ』の映画がやってきた。闘う歌としてのカリプソを意外に感じたひともいるだろう。

なにより、この映画を皆が浜村さんと一緒に観たというのが、とてもすてきなことだと思うのだ。